パスカル・キニャールの著作に『音楽への憎しみ』
『音楽への憎しみ』
1996年に刊行されたパスカル・キニャールの『音楽への憎しみ』は、音楽や音、声に関する古今東西の文献や神話、歴史を辿りながら、人間の音に対する根本的な本質を探る内容です。
キニャールは聖書やギリシャ神話、中国や日本の出来事にも触れ、日本文化にも言及しています。
この『音楽への憎しみ』は単に音楽への嫌悪を表明したものではなく、キニャール自身が音楽家系に生まれ、音楽界の権威であった背景から、音楽に対する複雑な感情を探るものです。
特に注目すべきは、人間の聴覚の性質についての深い考察です。
視覚がまぶたを閉じることで遮断できるのに対し、聴覚は自らの意思でシャットアウトできない「無限の受容性」を持つとし、「耳にまぶたはない」という象徴的な表現を使っています。
音の支配性
さらに、キニャールは聴覚を最も原始的な感覚と位置づけ、
「聴覚は、その個人の歴史を通じて、嗅覚よりも、もちろん視覚などよりもはるかに先立つ、
もっともアルカイックな知覚であり、そして、夜と連携している」
と述べています。
音は物理的な障壁を持たず、直接肉体に触れるため、人間が音に対して無防備であることを強調しています。
ナチスドイツの強制収容所における音楽の役割にも触れ、音楽があらゆる権力と結びつきやすく耳を閉じることができないため、根源的な支配性を持つと述べています。
音と言語
本書の一節にこんな文章があります。
「ヴェーダ語の文献に見られる奇妙な計算によれば、神々の言葉に付加された人間の言葉が表現しているのは言葉全体の四分の一でしかないと見積もられている。同じようにヴェーダ聖典によれば蘇摩(そま)をもたらす荷車が聖地に入ってくるときの車輪のきしみ音は、どんな慧眼な賢者のどんな深い言葉よりも重要だとされている。言語的でない言葉のほうが、音節化された言葉よりも大きな広がりとより大きな真実を持っている」
要約すると、言語で表現できる真実はごく一部に過ぎず、非言語的な音や自然の現象が時に言葉以上の真実を伝えることができ、言葉の限界を超えた非言語的要素の重要性を強調しています。
現代では技術の進歩によって音の制御を可能にし、ノイズキャンセリングイヤホンのような装置によって逆に無音を作り出すことができるようになりました。
それでも音は依然として私たちの存在に深く影響を与え続けています。
評論というより散文のような難しい内容ですが、私たちが日常的に接する音について今一度再考させてくれる作品です。
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